記憶も,想いも,意志も,痛みも,切なさも。
昨年9月11日に起きた米国同時テロでの体験談や電子メール,テキストメッセージ,ウェブログなどを保存するプロジェクトが活動している。ザ・セプテンバー11・デジタル・アーカイブやザ・セプテンバー11・ウェブ・アーカイブなどだ。テロ以降,政府や当局は危険につながりかねない情報をウェブから削除しているが,それらのアーカイブに残っているものもある。
ネットワークが気持ちを伝える伝達経路ではなく,気持ちそのもの,だとしたら,想い出も記憶も,いつまでも変わらずに,すべてネットワーク上に存在している。ネットワークがより強く想いを伝えるのも,その証拠だ(過去記事)。それを,新聞や教科書に書かれていることと一緒にしてはいけない。「歴史」は事実とは違う。「歴史」とは,過去を再構築したものに過ぎない。だから,作り替えることもできるし,捏造することもできる。
それに対してネットワークには,そのときの気持ちが今もうごめいている。あとから意図的に変造した歴史ではなく,事実である「気持ち」がある。教科書や今日の新聞の社説を捨てて,ウェブ・アーカイブをみると,その違いがすぐにわかるだろう。そしてこれは,歴史的事件についてだけぢゃない。私たちの今の気持ちも,次々にネットワークにパッケージ化されていく。気持ちのすべてが,ネットワークに流れて行く。好きなもの,嫌いなもの,辛かったこと,優しかったこと。想いを,すべて。
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